思い出のスーベニア、ガロ <1>

イタリア旅の思い出はポルトガルのガロ
イタリア旅の思い出はポルトガルのガロ

2020年はじめのイタリア旅の思い出はポルトガルの小さなガロ。

ポルトガルの?であるが

幸運を呼ぶという雄鶏、

そうこれなのである。

旅程は東京から直行でインもアウトもミラノ、

イタリアでは長靴の上の方を

一文字に移動するという

至ってシンプルなもの、

であるはずであった。

本当はローマの日帰りを強行したかったが

行ってみれば2月の初めの鉄道事故の影響により

イタリアを縦に結ぶ列車は

連日大幅に遅れており、

ローマ行きは泣く泣く諦めた。

またすぐ来ることだし、と当時。

日本で出始めたCovid-19の感染者

イタリアに飛んだ頃はイタリア人の感染者はゼロで

自分が感染の始まった日本を置いて去るような気がして

周囲には注意するよう言い残したりして

日本を後にした。

ミラノのマルペンサ空港に着くと

アジアからの便の搭乗者は

検温されての入国。

アジア方面はCovid-19で危ないから、

という感じである。

いつも寄るニューススタンドで

ミネラルウォーターと新聞を買い

イタリアの携帯電話をチャージ。

そして今回は、トラベルコーナーにいつもある

消毒ハンドジェルを購入。

日本ではもう購入できない状況だったので

「お土産」として買ってみた。

イタリアは連日ダイアモンドプリンセス号のニュースで、

Covid-19は遠い世界のもののように思えた。

 

ファッションウィークとカーニバル

今となっては飛行機雲が印象的
今となっては飛行機雲が印象的

カーニバルの時期と重なったファッションウィークのミラノはファッショナブルな人びとで溢れていて

ドゥオモ広場ではエージェントとカメラマンとスタイリストに囲まれたモデル達がポーズをとっていて

その一週間後にはこの広場から人影がなくなることは誰も想像していなかったと思う。

ミラノを離れてしばらくはミラノのあるロンバルディア州の街に滞在していたが

ミラノでもその街でも、エレベーターの同乗は露骨に避けらることがあった。

アジア人とわかると、こちらに向かってコロナ、と言い放つ者もいた。

流すに限る。流す、流す、流す、聞き流す。

所用のない日があったのでカーニバルの期間ということもあり数年ぶりのヴェネツィアに日帰りで行こうとしていた。

ただこの時すでに、イタリアで一人目のCovid-19の感染者がでたあと

日ごとに感染者の数が増え始めていた。

続く

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