出口のなかなか見えてこないウィルス禍。
近くでさえ大手を振って外を歩くことができないのに次にイタリアに行くことなんて見当もつかない。
行けないとなると疼く伊太利亜欠乏症。
慢性的だから慢性伊太利亜欠乏症である。
ただし今は現実の生活がここ日本にあるからであってイタリアが現実、日常生活であった時は
あの、一人で闊歩する雰囲気でない空気に辟易して東京のような空気に触れたいと思ったことがなんども。
ローマからベルリンに行く機会があり、個々がそれぞれの早さで街を闊歩するリズムがうれしくてローマに戻ってからはベルリンが恋しかった。
結局どこに行っても現実とはそこから逃避したくなるものでイタリアが日常生活に戻ったとしたら逃げ出したくなるのだろうと思いつつ
それでも伊太利亜欠乏症である。
バールのカップがカチャカチャとぶつかり合う音が特に。
フィルムを整理すべく重い腰を上げ、デジタルコンタクト作成中。
都市が恋しいとかつての世界の中心、Caput Mundiを歩いてパシャリのいろいろが出てきた。
ローマも都市ですが、と言われそうですが。
聖年が終わろうとしているローマは巡礼者でごった返していた。
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